2014年8月30日土曜日

男性のつけま使用率を国家戦略的に女性と同等にまで引き上げるべきだ

20代の女性の約30%がつけまをつけることがあるそうだが、男性に関してはほぼ0%だろう。
女性でもつけまを付けない人はいるように個人差はあるが、男女平等な自然な状態では男女同程度の割合でつけまを付ける人が居なければ不自然だ。

どこの男がつけまを付けたいなんて思っているんだ、というかも知れないが、それは幼少期からの刷り込みによって、まつげを装飾するのは女性のやることだという間違った偏見を持ってしまっているからだ。

考えてみて欲しい、男性がつけまをつけてはいけない理由があるだろうか。
法律で規制されているわけではないが、社会が男性がつけまをつけることを容認していない状態はまさしく差別である。

したがって、この偏見を正さなければいけない。

そこで、男性にもつけまをつけることへの抵抗を減らしてもらうためのつけま講座、つけまをつけた男性の悩みを相談するための「男のつけま相談ダイヤル」、また影響を受けやすい子供が偏見に染まらないように、子供向けメディアでの女性だけのまつげを長く描写することを禁止、さらにはまつげの長さで男女を区別させるデザインの禁止を提案する。

2014年8月27日水曜日

スクリーンショットは著作物として認められるのか

http://techdows.com/2014/08/opera-25-developer-update-enables-the-bookmark-manager.html



もちろん物によっては認められる可能性もあるだろうが、上記のサイトのようにソフトを紹介するためのもので一切自作のものが入っていなくて、またその配置等にも特に創作性もないものにどうしてスクリーンショットをとった人に著作権が認められるというのだろうか。
アメリカの著作権法には詳しくないが、おそらくこのスクリーンショットをとった人に著作権が与えられることは無いだろう。

というか、スクリーンショットと著作権との関係の話では、もっぱらスクリーンショットが著作権を侵害しているかどうかという事のほうが問題になるのに逆に自らの著作権を主張しているのには驚いた。

フェアユースの無い日本ではPCのデスクトップやスマホのホーム画面のスクリーンショットをとって公開した場合、壁紙やアイコンの著作権を侵害する可能性が高い。
ソフトウェアやゲームの紹介の場合は、引用で対応できるのではないかと私は考えているのだが。


いやだがしかし、もしかしたら著作権表示を入れることによって、二次的著作物になるかもしれない(笑)。するとスクリーンショットを撮った人にも著作権が認められるわけだが、同時にフェアユースからも逸脱して著作権侵害も確定的になるが。
そもそも自分のサイトのドメインを真ん中に入れただけで創作性があるとは思えないが。

Opera developer 25のBookmarksでフォルダの階層化が出来た!!

Opera developer 25でStashがBookmarksに変わったのですが、フォルダを多階層に出来ないと思っていました。


このように、左側のメニューの部分でフォルダをドラッグして重ねてみても中に入らないので出来ないのかと思っていたのですが


MyFoldersの階層に入って右の領域のフォルダをドラッグして重ねると階層化することが出来ました。


他にも右の領域のアイテム→左の領域のフォルダまたは上のナビゲーションへドラッグして移動させられることがわかりました。

ただ、右側の領域では新しいフォルダを作ることが出来ないので、下の階層の中に新しいフォルダを作るには一番上のMyFoldersから順に入れていくしかないようです。

階層数に制限があるのか気になったので20個までテストをしてみたのですが、問題ありませんでした。制限があるのかはわかりませんが少なくとも実用上は問題ないでしょう。


上のナビゲーションが2行のレイアウトに対応してないようで少し崩れていますが、まあ実際はこんなに深くしないと思うので大丈夫でしょう。

また、BookMarksからフォルダごとスピードダイヤルに追加できるのですが、もしやこれでスピードダイヤルも多階層化できるのではと期待しましたが出来ませんでした。下層フォルダの中身はすべてまとめられてしまいました。

左側の領域の階層表示、左側領域でのフォルダ移動、あとはフォルダの画像表示などが実装されればとりあえずは使っていけそうです。

UIは結構気持ちいいので期待しています。

2014年8月25日月曜日

ゲーム紹介「テオとセァラ」

短編ノベルゲーム『テオとセァラ』

ジャンル:ノベルゲーム
作者:KaTana(言ノ葉迷宮)

私が今までプレイしてきたあらゆるゲームの中で最も衝撃を受けたゲームです。
今後もこのゲームを超えるものはないのではないかと思っているほどです。

ネタバレは致命的なのでほとんど何も書けないのですが、端的にこのゲームを表すなら

「次元が違う」

といったところでしょうか。
それくらい強い衝撃を受けました。

しかし、プレイヤーとの相性が非常に物を言うゲームで、面白くない人にとっては何が面白いのか全く検討もつかなく、単なる時間の無駄くらいにしか思わないだろうという問題も有ります。

ネタバレは致命的ですので何も調べないでプレイしてください。

2014年8月24日日曜日

Wikipediaは間違いだらけなのか

そもそも、正しい情報とはなにか。絶対に正しい情報というものはあるのだろうか。

すべての情報は伝聞情報だ。仮に肉眼で観察したとしても、その視覚情報を解釈する段階であらゆる誤解が生まれる可能性があり、また人間の記憶は変遷する。
それが言語という不完全な情報伝達方法を用いて伝達でもされたとすれば、とてもその情報は信頼できるものではない。
つまり、我々の生活において、情報が絶対に正しいかなどということは問題ではなく、ある一定以上の確からしさがあれば問題ない。

2014年8月20日水曜日

2048はなぜ面白いのか-最適化する楽しみ

人が快感を覚えることの一つに、最適化というものがあると思う。

アクションゲームにおける「パターン入った」というやつもこれである。
2048の面白さとはこの最適化なのではないかと思う。

2048の場合、プレイし始めてしばらくすると「角に寄せればいいのか」と分かってくる。
そして、実際に角に寄せることによって数が大きくなっていくのを見て、自分の考えが正しかったことを確認し、満足する。しばらくは同じパターンでプレイしながら、快感に浸る。
しかし、次第にただ角に寄せるだけではダメなことが分かってくる。そこでパターンを改良して、また適応してみる。この改良が成功するとまた満足感を得る。
数が大きくなってくると、当然難しくなってきて、パターンにほころびが出てくる。そのほころびを修正出来ないとゲームオーバーになってしまうわけだが、その時に、どこがいけなかったのだろうかと考え、もう一度プレイして、さらなる最適化を目指す。

最適化することは楽しいのだが、最適化された状態が長く続くと飽きてしまう。
所々でそのパターンにほころびが生じて、それをまた修正するということの繰り返しを丁度いいタイミングで出来るのが2048なのではないか。


最近ラブライブ!をやっていたのだが、このゲームでもラブカストーンを効率よく増やすにはどうすればいいのか、という最適化が楽しくてしばらくやっていた。
ハードをフルコンで友情pt入手、一般生勧誘、覚醒、絆maxでサイドストーリーという流れで、ラブカストーン1つを使用してハードを3回クリアするとだいたい120くらい絆ptが入り、2.5人ほど絆をmaxにできるので、ラブカストーンを一つ消費するごとに1.5個くらいずつラブカストーンが増やせた。このパターンに飽きてきたくらいに、ライブが難しくなってきてフルコンを中々出せなくなり、一般生勧誘で新しい部員をあまり入手出来なくなってきたので、パターンが崩壊してしまいった。

クッキークリッカーの楽しみもこのたぐいのものだろう。
クッキークリッカーは初めてすぐに自動連打ツールを使って24時間クリックさせ続けていたところ、2日くらいでパソコンが落ちてしまい、その時にデータが飛んでしまったのでそれでやめてしまったが。

2014年8月19日火曜日

カードカウンティングをゲームの要素とすべきか

多くのトランプを使ったゲームで発生する、捨て札の情報を記憶し、利用する事について。

1デッキしか使わないブラックジャックでカウントを行うのは当然のことだし、大富豪で捨てられたカードのうち重要なカードの枚数を記憶するのも皆やってることである。

公開されている情報を記憶、蓄積することによって優位に進めることができるゲームは非常に多い。
しかし、それをするのには記憶力を求められたり、時間がかかったりすることが多い。

本気で大富豪をやるという事は何かを掛けたりしない限りなかなか無いと思うが、もし大富豪の大会があったり、カジノで大富豪があれば、全員が当然に全カードをカウントするだろうし、カウントミスをした人は負けることになる。
カウントの能力がゲームの行方の大部分を占めるようになってしまうだろう。

しかし、多くのカジュアルなトランプを使ったゲームでカードカウンティングをすることはあまり想定されていないだろう。

このような、考えれば全員が平等に分かる情報というのはいっそ公開してしまってもいいのではないか、と私は考える。
頑張れば誰にでもできるけど非常に面倒で疲れる、しかしやらないとゲームにおいて著しく不利になる要素と言うのはゲームにとっていいものではないと思う。

もちろん、ほとんどの適当に遊んでいる人たちにとっては今のままで問題ないのであろうが、それでもゲームとしての完成度は1段低いものとなるだろう。

2014年8月17日日曜日

著作物の複製の本質

日本の著作権法によると、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」とされているが、この「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」の部分は、人間によって知覚された時に価値を生み出すものと考えることもできるのではないか。

この考えに基づくと、著作物の複製とは物理的に同じものを作り出すことではなく、別の人にその著作物を知覚させることと定義したほうがいいのではないか。
複製権、上映権、演奏権等々あるが、これらはすべて上記の複製の定義によって表すことができる。
支分権のほとんどをまとめる事ができて、簡潔な法律になるだろう。
公衆送信権なんていう面倒な法律もなくなって、著作権者の許可無く著作物を知覚させた罪で済む。

また、物理的な複製という概念をそのままデータにも適用するから、検索エンジンが違法だとかいう話になる。
複製の本質は新たに人が知覚するかどうかなのだから、検索エンジンがサイト内のデータをコピーして保存することにはなんの問題もない。

個人的にdvdを友達に貸すのは、貸与権が公衆に提供する権利とされているから問題無いのに、メールで友人に動画を送るのは複製権を侵害するなどというおかしなことになる。
これも他の人に新たにその著作物を知覚させるという点では同じことのはずだ。それを分かっているから違和感を感じる。
他にも、学校に置いてある誰かが持ってきた漫画は読んだ人の数だけ複製されたのと同じだと言える。

いい加減活版印刷の時代から卒業したらどうだろうか。
そして複製とは何なのかということをもう一度しっかりと確かめてから著作権法を作りなおすべきだ。著作権とは複製権(Copy Right)なのだから。

理不尽とはなにか

理不尽であると感じるときはどのようなときか。いくつかのパターンが有ると思うが、ここではそのうちの一つについて検証する。

なんでもいいのだが、いつものように文化祭を例に考えてみる。
登場人物:W君、文化祭実行委員、先生

W君はお化け屋敷の壁を固定するためにダンボールをガムテープで壁に固定することを文化祭実行委員に指示され、そのようにした。
しかし、後に先生がやってきて、W君は壁にガムテープを貼ってはいけないといわれた。
W君が実行委員にそういわれたのだ、と言おうとすると、先生に言い訳をするなと言われた。

このとき、W君は自分は文化祭実行委員に従っただけなのに先生に怒られた。これは理不尽だ、と思う。

この状況を分析する。
まず、前提として本来は壁にガムテープを貼ってはならないというのが正しいルールだということにする。

W君が理不尽だと感じたのは、自分が不当に責められたと感じたからだ。悪いのは自分じゃない、文化祭実行委員だとW君は思っている。

ではこの時、先生はどのように思っていただろうか。
先生の目的は、ルール違反をしているW君の行動を止めることだ。それを止めるために指摘したところ、W君はなぜか言い逃れをしようとした。まさにW君はルール違反をしようとしているのに。


さて、どこに問題があるだろう。
もちろん文化祭実行委員が間違った指示をしたのが問題なのだが、W君の何が問題なのだろうか。
言い訳をしようとしたのがいけない、と言うのは間違いだ。
本当の問題はW君が先生に責められたと感じたことだ。
そのことによって、W君は自分に対する非難を解消したいと思い、悪いのは自分じゃないと主張したくなった。

これを二人の上司型と名付ける。

このように、二人の上司型の理不尽のパターンにおいて、問題なのは、二人の上司の言っていることが違うことではなく、行動に対する指摘を非難だと感じることである。

2014年8月11日月曜日

横長のものを横に並べるという事

ブラウザのタブの配置について

縦長の本を縦に並べて収納したり、平たい皿を横に並べてしまったりしないように、横長のタブを横に並べて置くというのは不自然ではないだろうか。
いや、もうみんな慣れてしまったので不自然だとは思わないだろうが、10個もタブを並べればいっぱいになってしまうのは不便だ。これを解決するためにタブスタックとかいう扱いずらい機能が実装されたりもした。

また、基本的に縦にだけスクロールするようにほとんどのサイトがデザインされている。
それを実現するために、多くのサイトはレスポンシブなデザインか、どんなディスプレイでもはみ出さないように両側に空白が出来る幅にされている。

したがって、ブラウザの表示領域の幅が少々狭くなっても表示される情報量にほとんど影響が無い場合が多いだろう。
タブの縦置きは合理的だ。


つまり何が言いたいのかというと、早くOperaにタブの縦置き復活させてください。

2014年8月5日火曜日

The linear RPGは面白い

The Linear RPG
これは、JRPGを批判しているのではなくて、面白さを抽出しているのではないか?
Linear RPGを面白いと思う人と、つまらないと思う人は両方いるとは思うが、次の回復地点までたどり着けるだろうか、と考えながらプレイすることにゲーム性はあると思う。
時間と手間をかけて経験値をためさえすればクリアできるRPGやソシャゲは基本的に嫌いだが、この The Linear RPGは早くクリアしたいという欲求と経験値を貯めるために必要な手間のバランスが良くとれていて、普通のRPGよりもよっぽど良いゲームだと思う。
ひたすら経験値を貯めてからボス戦に行くような手間を苦にしない人にとってはとてつもなくつまらないゲームであろうと想像できるが。

マスコミ(テレビ)の低俗な報道に不快感を覚えている人たちへ

まず、マスコミが低俗なのは当然である。ここに改善を求めても、マスコミがマスコミュニケーション(大衆伝達)である限り、絶対に変わらないだろう。

もしあなたが、マスコミを不快だと感じるのなら、それはマスコミがあなたを対象にしたメディアでは無いからだ。
専門誌に対して難しすぎて意味がわからないと文句をいったり、ドラえもんが非科学的だと言ってそれを楽しめないなら、それらは残念ながらあなたを対象にしたものではなかったのだ。
どんなものもそれが作られた対象が存在する。

さて、マスコミが対象としているのは一体どのような人たちなのだろうか。
マスコミが大衆、つまり社会の多数派を相手にしているというのは定義である。
実際、電波を無料で発信してテレビを持っていればだれでも見られるようになっているというのは定義に合致していると言えるだろう。
マスコミが低俗な報道をするのは、社会の大半がそのようなものを求めているからだ。

したがって、もしマスコミに変わってほしいのなら、それはマスコミに対してではなく、社会に対して訴えるべきである。あんな物を見て喜ぶのはやめよう、と。これは
投票しない人は政策に文句を言うなというのは間違いだの内容にも通じるところがある。
しかし、実際にはそのようなことは難しい。歴史的に見ても大衆が低俗で無かったことなど無いだろう。

だったらどうすればいいのか、答えは簡単だ。本当に不快なら、見なければいいのである。

しかし、実際にはマスコミにいつも文句を言っている人を含めて、未だに多くの人がテレビを見ている。
それはおそらく、文句をいうことを含めて、低俗な報道を楽しんでいるのであろう。
あなたは本当にマスコミを不快に思っているのだろうか。