2014年8月17日日曜日

著作物の複製の本質

日本の著作権法によると、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」とされているが、この「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」の部分は、人間によって知覚された時に価値を生み出すものと考えることもできるのではないか。

この考えに基づくと、著作物の複製とは物理的に同じものを作り出すことではなく、別の人にその著作物を知覚させることと定義したほうがいいのではないか。
複製権、上映権、演奏権等々あるが、これらはすべて上記の複製の定義によって表すことができる。
支分権のほとんどをまとめる事ができて、簡潔な法律になるだろう。
公衆送信権なんていう面倒な法律もなくなって、著作権者の許可無く著作物を知覚させた罪で済む。

また、物理的な複製という概念をそのままデータにも適用するから、検索エンジンが違法だとかいう話になる。
複製の本質は新たに人が知覚するかどうかなのだから、検索エンジンがサイト内のデータをコピーして保存することにはなんの問題もない。

個人的にdvdを友達に貸すのは、貸与権が公衆に提供する権利とされているから問題無いのに、メールで友人に動画を送るのは複製権を侵害するなどというおかしなことになる。
これも他の人に新たにその著作物を知覚させるという点では同じことのはずだ。それを分かっているから違和感を感じる。
他にも、学校に置いてある誰かが持ってきた漫画は読んだ人の数だけ複製されたのと同じだと言える。

いい加減活版印刷の時代から卒業したらどうだろうか。
そして複製とは何なのかということをもう一度しっかりと確かめてから著作権法を作りなおすべきだ。著作権とは複製権(Copy Right)なのだから。

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