2014年10月21日火曜日

作品を入手出来なくなる状態にしてはいけない

作品とは、誰かに鑑賞されることを目的として生み出されたものだ。
そして公開された作品はより多くの人に鑑賞されることを目的としている。
もちろん、その背景にはそれを販売して利益を上たりするなどの目的があるのだが、それを欲しい、見たい、聞きたいと思った時に、いかなる合法的手段を用いてもそれにアクセスすることが出来ない状態には絶対にしてはいけない。
絶版になった本はいずれこの世から消滅する。一度流れたラジオは二度と聞けなくなる。
文化が消えてなくなるのだ。

合法的に入手することを阻んでいるのは何かというと、それは著作権法だ。
著作権法第一条には、
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
とある。
文化の発展に寄与することを目的としているのである。
にもかかわらず、現在の法律では絶版になった本、cd化されないラジオ番組、dvd化されないテレビ番組は合法的にはもう二度と見ることが出来ないのである。
これは著作権法の目的に反していると言えるのではないだろうか。

そもそも複製権の存在自体が文化の流通を妨げ、文化の発展を妨げているものなのだが、これは著作者の権利(専ら財産的な)と衝突するため、しかたのないことだと言える。
しかし、絶版になったものなど、著作権者が広く公開した著作物でかつそれの複製が著作者の財産的な利益と衝突しない場合において、文化の発展を最大化するために、例外として私的利用のための複製を全面的に許すべきではないだろうか。

この考え方は、全く荒唐無稽なものではないはずだ。
違法ダウンロード罰則化と呼ばれている改正で、第百十九条 三に、
有償著作物等(録音され、又は録画された著作物又は実演等(著作権又は著作隣接権の目的となつているものに限る。)であつて、有償で公衆に提供され、又は提示されているもの(その提供又は提示が著作権又は著作隣接権を侵害しないものに限る。)をいう。)
とあるように、
有償で公衆に提供され、又は提示されているもの以外は罰則の対象にならないのである。
これはつまり、著作権を財産権とみなし、著作者の財産権を侵害しない限りにおいては、複製を一段階低い罪と見ていると考えてもいいのではないか。

これをもう一歩進めて、有償著作物以外の著作物の私的利用のための複製を第三十条、著作権の制限の私的利用のための複製の例外から外して欲しいのだ。

つまり、
第三十条 三の冒頭を
著作権を侵害する自動公衆送信
から
有償著作物等の著作権を侵害する自動公衆送信
に変えて欲しいということだ。

参考:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO048.html

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